経済活動が活発になれば、モノやサービスがより多く生産され、企業や家計の手に渡り活用されることで、人々がより豊かになれます。その意味で、経済活動が活発になり続けること、つまり経済が成長し続けることは望ましいと言えます。将来のことは不確実ですが、家計や企業は将来を予想して計画的な消費や投資を考えるはずです。経済が急成長と収縮を繰り返すよりは、急成長でなくても安定的・持続的に成長する方が計画通りの行動(消費や投資)を行いやすいため、どうすれば経済が安定的・持続的な成長を遂げることができるかが、経済学の課題となります。現実の経済では、なかなか安定的・持続的な成長を達成することができません。マイナス成長のままプラス成長ができないとか、プラス成長のときがあっても長続きせず、マイナス成長となってしまうとか、急成長と急降下を繰り返すとかします。景気という言葉を使えば、好景気と不景気が交互に循環する様です。景気がなぜ循環するのか、なぜ好景気を続けることができないのかが研究されています。
景気が循環する理由としては、代表的なものに、経済が過熱するとその反動で冷えすぎた状態となるという説があります。経済が急成長しているときは、家計も企業もこの状態がしばらく続くと考え、生産や消費をさらに拡大させます。消費が高まると物価は上昇します。消費の中でも耐久消費財のようなものは、一度購入するとしばらくは購入しません。また価格の上昇が賃金水準の上昇を上回るようになると、購入が手控えられるます。これらの理由により、消費が後退する時期がやってきます。生産を拡大し続けてきた企業は、消費の後退に気づくころには、大量の在庫を抱えることになります。原材料の調達や生産拡大のための設備投資に慎重になり、モノやサービスの生産が落ち、消費も投資も落ち込むようになります。これが不景気です。しかし、不景気がずっと続くわけではありません。一定期間が過ぎれば消費者も古くなった耐久消費財の買い替えが発生しますし、企業も生産を縮小し続けていれば、そのうち在庫がはけます。やがて消費者は消費を増やし始め、生産者は生産を増やし始めます。景気が回復し、また元の好景気の状態に戻ります。これが景気循環です。ここでキーワードとなるのが、消費の変化です。モノやサービスには、食料品や生活必需品、光熱費など常に消費し続けるものの他に、家電製品、自動車など一定期間ごとに需要が発生するもの、不要不急のもの(旅行、レジャー、宝飾品、不動産)があり、消費量は一定とはなりません。企業側においても、消費動向や経済情勢を見て生産計画を立て生産するので、生産量も変化します。変化は金融市場にも見られます。株式、金利、為替は時々刻々と変化し続けています。つまり経済指標で見える経済の状態は、常に変化し続けていると言えます。
経済指標が独立バラバラに変化するならば、全体では平均化され、巨視的な変化はないかもしれません。しかし経済指標の変化が独立バラバラにはならないならば、また、たまたま幾つかの指標が同じ方向に動くのならば、また、一部の指標が下落したために、その影響で他の指標が連動して下落する事態となってしまったならば、経済全体が大きく変化しうるのです。経済全体が変化するきっかけとなり得るものには以下があります。
耐久消費財等、消費者の消費に波があること、生産者が消費の波を捉えて生産計画を調整するのに遅延があること等により発生する生産側在庫の増減の循環のことです。消費が減退し在庫が積みあがると生産が減少し、消費が回復すると在庫が減少します。在庫は周期性を持ちます。通常のゆっくりした景気循環は、これで説明できると考えられています。
設備投資は、一旦投資すれば設備が陳腐化や老朽化するまで設備更新はされません。各企業が時期的にバラバラに設備投資を行うのであれば、平均的に見て投資の全体量は変化しませんが、一定のタイミング(例えば、景気回復期、技術革新期)で多くの企業が行ったとすると、経済全体の投資量には波が発生します。
上記の循環は、いわば一定周期で「規則正しく」好景気と不景気の循環が繰り返される場合の説明を与えていますが、過去の歴史を見た場合、突然の急激な景気後退(経済ショック)に見舞われたことも少なくありません。日本の場合、経済ショックとして、石油ショック(1973年)、バブル崩壊(1990年)、リーマンショック(2008年)の3つが挙げられます。比較的長期間に渡って高い成長が続いたあと、急激に景気が落ち込みました。原因は、通常の景気循環のような在庫要因や設備投資要因というよりは、外的ショックに起因するものです。産油国が石油価格を引き上げたことによる石油ショック、土地取引規制と地価・株価急落によるバブル崩壊、米国の金融機関の破たんと米国株の急落によるリーマンショックなどです。
経済が成長するということは、GDPが上昇し続ける、好景気が続くことですが、それが良いことであるとはどうして言えるでしょうか。社会の理想は人々が幸福に暮らすことです。これは精神的なものであり、生産量で測る経済成長とは無関係なことです。人々の幸福量を計測し、それを増大させていくことが望ましい方向といえます。しかし幸福の量をどう客観的に計測するかが課題となります。幸福量を計測することや、それを拡大する方策などが経済学でも研究されています。一方、計測が困難な幸福度の代理変数として経済的豊かさを使うという研究もあります。幸福度の意識調査とGDPの水準を分析すると、一般にGDPの水準が高いほど、意識調査での幸福度が高い傾向にあります。つまりGDPを高めていくことが、幸福度も高めることになると考えられるのです。GDPは計測可能ですので、GDPを成長させる方策が間接的に幸福度を高める方策となるのです。GDPの増大が幸福度と正の相関があるという主張は、マズローの自己実現説の視点でも考えることができます。人間はまず第一の欲求として生存欲求があります。経済的に言えば、衣食住の生活必需品が十分に供給されているかとなります。次の段階として社会的欲求があります。これは、通信手段、交通、情報機器などのモノやサービスが関係してきます。第三段階では自己実現欲求があります。そのための道具として様々なモノやサービスが考えられます。優先度の高いある欲求が満たされれば、その上の段階の別の欲求が生まれてきます。経済的豊かさは、それを満たす必要条件といえます。もちろん十分条件(経済的豊かさがあれば人々の欲求が満たされ幸福であるとは断言できない。)とまでは言えません。
経済成長は経済が生み出す生産物の量が増大することです。ではどうすれば増大するのでしょうか。経済活動は循環で動いています。人々は会社での労働によって収入を得て、それでモノやサービスを買います。収入が得られるのは、会社の収入が分配されるからです。では会社の収入はどこから・・・。これは人々が会社の生産物を購入し会社にお金が入るからです。では人々が行う購入のための原資はどこから・・・。会社に労働を提供しその対価として賃金を受け取ります。結局、ニワトリが先か卵が先かという循環した議論となります。お金とモノが堂々巡りしているだけで、そこからは何も生みだされないのでしょうか。家計と企業は、ある時は労働の、モノやサービスの生産者として、またある時は、モノやサービスの、労働の消費者として振る舞います。Aが生産したものをBが消費し、Bが生産したものをAが消費します。その間、お金はAからBへ、またはBからAに移動するだけで、お金が生産されるわけではありません。しかし、モノやサービスが生産され消費されるのです。言い方を変えれば、人々が消費したいものが生産され、消費されるということです。
2人の人がそれぞれ、aというものを2つ、bというものを2つ生産したとします。2人の人は、まずは自分の分を1つとり、相手に1つを物々交換すれば、両者ともaとbの2つを手に入れることができます。この物々交換を拡張すれば、各人は一つのモノを生産していても、自分が消費する以上に生産すれば、物々交換によりたくさんのモノを手に入れることができます。自分が作ったモノを相手に渡し貨幣を受け取り、そしてその貨幣でモノを手に入れるのなら、貨幣は仲介をしているだけの存在です。貨幣はモノと交換できることが価値を生み出します。労働によってモノが生産されます。労働をする際に道具を使うことで同じ時間でより多くの生産ができます。より高度な道具を導入すれば同じ労働時間でさらにより多くの生産ができます。高度な道具は。それを使わないと生産できなかった新しいモノやサービスを生み出します。労働力の投入が増えれば、より多くの道具をより高度な道具を投入すれば、より多くの量をより価値の高いモノやサービスを生産し消費できます。経済で生み出される価値は、労働投入を多くすること、資本(道具)投入を多くすることで可能となります。
1日の労働時間には限りがあります。労働投入の増大は、1人の人の労働時間の増大というより労働参加者(労働人口)の増大により達成されます。労働者の数(労働投入)が1.2倍となったとき、生産物が1.2倍以上となっていれば1人当たりの分配は減りません。しかし労働投入量には物理的制約があります。資本の投入量を増やすことによって、さらに生産量を増やすことができます。また、労働投入の量が一定であっても、労働者の教育訓練で同じ労働時間でもより多くのモノやサービスを生産することができます。資本についても投入量は金額で測られるため、より高い生産能力を持つ機器が従来同様の価格で手に入るのであれば、資本に投入する金額が一定であっても機器が新しいものに入れ替わるたびに生産量が増えることになる。このように労働投入量、資本投入量が一定でも、生産量を伸ばす可能性があり、これを科学技術の進歩と解釈することができる。生産量を増やすための条件は、労働投入と資本投入の増大、科学技術の進歩の3つとなります。持続的な経済成長をもたらす原動力となるのは何でしょうか。労働投入は労働人口の増加に応じて増加しますが、労働人口の増加には限界があります。また労働時間が多くなることは、その分余暇時間が減ることになり豊かな生活とはなりません。資本投入についてもその形態として土地建物機械設備であれば、拡大には限界があります。また資本は老朽化しますので、資本の拡大につれて資本の摩耗減少分も増加し、規模を維持しようとすれば維持費が増加します。よってこれも拡大には限界があります。一方、科学技術には進歩の限界がありません。経済は技術革新によって持続的な発展を遂げられたと言えます。
経済はどのように発展し続けたのでしょうか。人々にとってもっとも必要なものは食糧で、まず食糧から生産されてきました。もっとも原始的な姿は、自分で食糧を生産(耕作、狩猟等)し自分で消費することです。この場合、各人は自分が必要とする分しか生産されません。物々交換で、自分が生産したものの一部を他人に渡し、代わりに自分が生産していないものを受け取るとします。自分が消費する以上に生産する誘因となります。食糧を得る物理的な量には変化がなくても、食糧の種類は増えていきます。
食料品しか人々が欲求しないのなら、生産の規模はここで止まります。人々の欲求は、食糧が満たされると、衣類、住居の欲求が芽生え、それが満たされると、別のモノへの欲求が増大します。人々の欲求に応じて、食料品の生産だけでなく、衣類の生産、住居の生産、生活用品の生産が加わり、生産量が増大します。労働、資本、科学技術の増加が増産を可能とします。経済成長が持続した理由として、人々の欲しいものの量が増えたというより、種類が拡大したことによります。食料品が満たされると、衣類、住居を欲求し、それがある程度行き渡ると、家電製品へ、そして教育、健康、旅行、娯楽へと欲求が広がっていきます。最近では情報機器や情報そのものが人々に消費されています。生産されるモノの拡大は、労働投入が増えたことよりも、資本の増加や技術革新によって可能となりました。食料品生産では、個々人がそれぞれ生産し、生産量には限界がありました。その後製造業が発展します。製造業は労働集約型産業で、労働者を集約し、資本を投下し、技術革新の力、規模の経済効果によって、労働生産性(労働者1人が生み出す生産量)を向上させました。労働集約型産業の発展は、農村部から都市部への人口移動を促し、農業から製造業へ、農村から都市部への変化が経済成長の原動力となりました。
物質的にある程度満たされると、次の段階として教育、健康、旅行、娯楽などを欲求するようになり、サービス産業が発展します。農業から製造業へ、そしてサービス産業へ生産が移ることで人々に様々なたくさんの種類のモノやサービスが届けられるのです。創意工夫や技術革新などの知識は蓄積性があるので、時間とともに労働生産性が向上します。教育訓練も労働生産性を向上させます。経済成長は限界がないのでしょうか。製造業は技術革新の影響を受けやすいが、サービス業はそうではありません。試行錯誤やアイデアの発案によってより高付加価値のサービスが開発されますが、人々の時間(24時間)には限りがあり、高付加価値化によるサービス業の生産拡大には限界があります。サービス業が主流となった先進国経済では、高成長し続けるのは難しく低成長となります。製造業では、技術革新によってより高付加価値な製品、より低コストでより量産が可能な生産技術の開発・普及で生産量は伸び続けることができます。しかし社会がモノで満たされると、伸びが鈍化する可能性があります。サービス業は、人間が介在する部分が多く、自然法則の利用に基づく技術革新が効かない分野であり、高付加価値の新たなサービスの開発、より低コストでより量産が可能な生産技術の開発は、製造業ほどではありません。よって、サービス業が中心の経済では、成長はゆるやかなものとなります。以上をまとめると、経済成長は4つの段階で説明できます。
農業が経済の中心で、比較的小規模の農家が全国各地で農産物を生産している。賃金水準は低い状態である。
都市部で労働集約型産業(主に製造業)が発展し、地方の農業従事者が都市部へ労働集約型産業の労働者とし て流入する。就業者が、第一次産業から第二次産業へ移動する。生産性の高い第二次産業が発展することで経 済力も、賃金水準も向上する。
製造業が発展し、製造業の中でも、軽工業から重機械工業、ハイテク産業へと移行する。 工業品の生産は拡大し、国内消費以上に生産した分は、輸出に回るようになる。農村部の安い労働力を使うこ とで価格競争力のある工業品を輸出できる。第二次産業の中でより生産性の高い業種が発展することで、経済 力も、賃金水準もさらに向上する。
国民生活水準が向上し消費が増え、食料品、工業品(家電製品等)だけでなく、サービス(娯楽、旅行、飲食 、教育、医療)の消費が拡大する。需要の増大につれて、第三次産業が発展する。国内賃金水準の上昇で製造 コストが増大し、輸出競争力、国内消費の増大につれて海外品の輸入が増え、輸出超過の状態から輸出入がバ ランスする状態へ移行する。
成長の原動力としては、需要側要因と供給側要因があり、需要側と供給側の両方の力があって初めて成長できます。需要側では、たくさんの、より多種類のモノやサービスが欲しいという欲求です。モノやサービスへの欲求がなくなれば、それらは生産されず、生産量によって計量される経済規模は拡大しません。欲求があり、生産コストを上回る価格で販売ができると企業が見込めば、生産され消費者に提供されます。消費が増大します。供給側では、技術革新により、消費者のニーズに応える商品が提供可能となるか、予想市場価格を下回る生産コストで生産が可能となるか、単位時間あたりの物理的生産量の増大が可能となるか、これらの要因で供給が増大します。需要の拡大と供給の拡大の両者が揃ってこそ、安定した成長が実現できます。需要だけの拡大は価格の上昇に、供給だけの拡大は価格の低下だけを招き、社会の富の量(生産量の蓄積)を増やすことには繋がりません。
生産されたモノやサービスは、消費者によって消費(消費されると経済的価値はほぼゼロとなること)されるか企業によって投資(投資物の経済的価値はゼロとならないか、他の経済的価値を生むこと)されるかのどちらかです。消費者がより多く消費すれば、企業がより多く投資すれば、需要に応じて生産量も増え、経済は成長します。消費者の欲求は、発展段階説で考えることができます。まずは生存に必要な食料です。次に日常生活に必要な衣類、住居です。それが満たされるようになると、日常生活を快適にするモノ、趣味・娯楽、レジャー、教育などのモノやサービスを欲するようになります。経済が成長する前は、家計の支出は食料品が多くを占めていました。生活水準の向上に連れて食料品以外の要求が増え、様々なモノやサービスの生産拡大に繋がりました。
消費者にどのようなニーズがあるのかは、なかなか掴めません。ましてや現在に存在しないモノやサービスの潜在ニーズの把握はさらに困難です。企業が利潤を求めて新しいモノやサービスを世に投入し、消費者の支持を獲得したものだけがその後生き残り生産が継続されるというサイクルを繰り返すことで、新しいモノやサービスが恒常的に生産されるようになり経済を成長させます。しかし、1日は24時間で限られ、体力、知力とも無限でない人間は、一度のたくさんの量のモノやサービスを消費できません。同じ価格でもより魅力的な商品を消費可能だとしても、経済統計では金額で計算するので、生活の質の向上は金額面での増大としては現れません。ただし、金額的な経済成長は得られなくても生活の質的な向上は、企業の商品開発、技術革新によって上昇し続けていくことができます。経済には景気の循環がつきものですが、生存や生活に必要なモノやサービスの存在が変動を緩和してくれます。どんなに不景気でも、食料品、生活必需品の消費は一定量必要であるため、この消費がある限り、経済の規模は一定量以上は保たれます。
供給側要因としては、生産性の向上が挙げられます。生産性は、労働投入量当たりの(例えば1人1時間当たりの)生産物の量で定義されます。生産物の量が増加すれば生産性が向上したと解釈します。異なる生産物の生産性を比較するにはどうしたらよいか。労働投入量当たりの生産物の市場価格で比較します。市場価格は消費者が付ける経済的価値であるので、同じ労働投入量でも経済的価値の高いものを生み出していれば、そちらが生産性が高いと解釈できます。
生活水準の向上に合わせた消費者の欲求の変化は、供給側にとっても生産性を向上させる力となりました。食料品が消費の中心であったころは、食料品の生産性向上が経済全体の生産性を規定していました。食料品は伝統的な生産物で、現代においては生産性向上の伸びしろは小さいといえます。また天候要因も大きく、生産性を単調増加させることはできません。しかし、消費者が食料品以外を求めるようになると、たとえば、工業品であると、規模の経済効果、分業の経済効果、生産技術革新効果が働きやすく、生産性を飛躍的に向上させることができます。規模の経済効果、分業の経済効果に一定の限界があるとしても、技術進歩は絶え間なく続くため、持続的な生産性向上が可能です。その後、サービス業が発展しました。サービス業は、工業品のように規模の経済効果、生産技術革新が働きにくいため、量的な面での生産性向上はゆるやかです。しかし消費者ニーズを捉えた様々なサービスが開発され、それに高い市場価格が付けられると、金額換算での生産性向上が図られました。最近では、IT産業が大きく発展しています。IT産業では情報が生産・供給されますが、情報の追加生産コストは非常に低く、低コストで大量のサービスを供給できます。このため、生産される情報の量が大量化しても市場価格は低いままになり、金額換算での生産性向上はゆるやかなものとなります。
人々が自分が必要としているものすべてを必要量だけ作るより、一つのものに特化して量産し他者が作ったものと交換した方が、全体としてより多くの生産ができます。特化することによって、専門知識の取得、生産の学習効果、後述する規模の経済効果が得られます。しかし、分業による効果は、歴史上の昔の経済(食料品など単純な物品、サービスの提供)においては認められたが、複雑で高付加価値なモノやサービスの提供が主流となっている現代の経済においては、過度な専門特化は逆にマイナス要因ともなっています。企業経営においても、多角化、広範囲な商品の提供による範囲の経済、連結の経済効果の方に注目が行くことが多くなっています。
たくさん作るほど、一つ当たりのコストが低下し、単位時間当たりの生産量が増大する性質を規模の経済効果と言います。生産量に依存しないコストである固定費が大きいと、量産によって一つ当たりの平均コストを低下でき、規模の経済効果が現れます。また、量産による経験効果でより効率的な生産(低コスト化、時間当たりの生産量の増大)を可能にします。近年の製造業においては規模の経済効果は大きく、様々なモノが大企業による寡占市場となっていることが多いと言えます。
生産における知見は実際に生産することで学習され、ノウハウは記録され、普及によって広く共有され、継承によって後の世代へ受け継がれていきます。中には陳腐化するものもありますが、陳腐化は新たな技術革新によってもたらされるので、歴史上、時間が経過するごとに生産ノウハウが蓄積されるので、生産技術は向上していきます。生産技術の研究開発も、既存技術の改良、より効率的な手法の発見等により、生産効率を向上させます。
経済成長は一般に、農業から工業、そしてサービス業への移り変わりを通じて規模が拡大していきます。昔、農業が中心だったころは、労働者が手作業で細々と生産していました。1人当たりの生産高(労働生産性)も単位面積当たりの生産高(資本生産性)も低いままでした。工業では、労働者を集約し、機械設備を使えば生産性を向上できます。科学技術の進歩の恩恵を農業より受けやすく、限界があると思われていた生産性をさらに向上させることができました。一方、機械化の進展によって、従来労働者が行ってきた労働の一部が機械に置き換わるようになりました。機械化された作業に従事していた労働者は仕事が奪われる結果となったが、労働の数が減ることにはなりませんでした。機械化されて減った分の仕事を補い上回る分の仕事が生み出され、機械化の進展によっても労働者全体のニーズが減ることはなかったからです。生産性の向上の意味するところは、同じ生産高を少ない労働投入で可能にすることですが、それが原因で労働投入が減ることにはなりません。労働者は肉体労働的なものから解放されることになります。人間の肉体労働的なものには物理的な限界があるが、機械であれば限界はより高いところにあるので、より高い生産性が得られます。
極端な例として、機械のみで生産できる工場を考えてみましょう。「労働者」は、コーヒーを飲みながら機械が生産している様を眺めているだけとなります。作られた製品は消費者に買われるので、会社は売上を得ます。機械が生産しようと人間が生産しようと 売上は変わりません。売上の一部が労働者に分配されるなら、仕事がなくても賃金が得られます。しかし経営者は、機械のみで生産できるなら雇用する必要はないから、売上分はすべて会社の利益とするでしょう。労働者は賃金を得られません。
企業が労働者を雇う動機はなんでしょう。労働者を雇い労働してもらうことによって、利益を増加できると企業が予想するからです。利益が増加するかは、労働者を追加で1人採用した場合に予想される利益の増分(限界利益)の方が、その人への賃金支払いより多いことが条件となります。生産を100%機械化したとしても、機械の管理・監視、故障の修理、会計、購買、設計、デザインなど、今までも今後も機械化が不可能な領域は多くあります。機械化された環境であっても、労働投入に対する限界利益は存在し、むしろ、機械化の効果で労働投入に対する限界利益は拡大します。これは、賃金の上昇を意味します。
労働投入量を増やせば生産量も増加します。資本投入量を増やしても同様な結果となります。経済成長させるのに、単に資本投資と労働投入を増やせばよいことになりますが、資本投資も労働投入も企業の意思決定により投入量が定まります。民間部門が利益を最大化するように投入量を決めているのならば、それ以上に投入することは過剰投入となり利益水準を低下させてしまいます。過去、バブル崩壊以降、企業は過剰な設備、過剰な労働力、過剰な借金が重荷となり、企業変革や業績回復が遅れる結果となりました。
経済の成長は、一般的に第一次産業から第二次産業へ、そして第三次産業への移行で行われます。第一次産業から第二次産業への移行の過程で、農村部から都市部への人口移動、所得水準の向上が図られ、第三次産業への移行の過程で、生活水準の向上、経済の安定成長化が実現します。しかし、過去の歴史を見ると、世界各国は、同じプロセスで経済成長しているわけではありません。経済が大きく成長する国とあまり成長しない国が両方存在します。先に成長を遂げた国は、いわゆる先進国であり、先進国より遅れて成長をし始めた国が途上国です。歴史上のいきさつで、成長のタイミングに時間差があるわけですが、成長の程度にも差が存在します。つまり、先進国の中でも成長し続ける国と成長が止まった国、途上国の中にも高度成長している国と、低成長の国があります。この差はどうして生まれるのでしょうか。経済成長に必要な要素として、以下の3つがあります。
戦争がないこと、治安に問題がないこと、政治が混乱していないこと等、社会や政治の安定は必須条件といえます。この前提がないと、経済活動は行えません。また、安定していないのならその国の通貨の信認もなく、お金が流通しなかったり、急激なインフレに見舞われたり、経済も不安定となり成長しません。
第一次産業では、生産性の向上に限界があります。第二次産業、第三次産業の発展が必要です。
労働生産性は、教育水準の向上、労働者の訓練で上昇します。
産業の発展には、電気、エネルギー、水道、鉄道、道路の整備が必要です。経済が発展すれば、社会インフラの整備も進みますが、経済規模より劣る社会インフラのままだと、経済発展の抑制要因となります。
地形、気候、伝統的な社会慣習などが、生産性や産業の発展を抑制したりします。
インフレが進むと、経済活動の根幹をなす通貨の価値が下がり、将来経済の不透明感が強まり、投資が抑制されます。高失業率は、社会不安、消費の抑制をもたらし経済活動を停滞させます。
経常収支を構成する貿易収支、所得収支の動きで経済成長過程を捉えることができます。経済成長前は、一般に農業国です。農産品を輸出し、工業製品を輸入します。貿易収支は赤字です。経常収支も赤字です。経済が成長するにつれて、国民生活が向上し工業製品の輸入が増えるので、貿易収支は赤字が増加します。その後工業化が進むと、工業製品の輸出が始まり貿易赤字は縮小します。外国からの投資が増え、所得収支は赤字になります。さらに工業化が進み、工業製品の輸出が拡大すると貿易収支は黒字となり黒字が拡大します。外国からの投資がさらに増え、所得収支は赤字が拡大します。さらに経済が発展すれば所得収支の赤字より貿易収支の黒字が上回り、経常収支が黒字化します。経常収支の黒字により外国投資が増え、所得収支も黒字化します。その後、工業かに遅れて国民生活の向上、消費の活発化により、輸入が増え、貿易収支の黒字縮小、赤字化します。所得収支は黒字が当分続き、経常収支も黒字が続きますが、貿易収支の赤字拡大により経常収支も赤字となり、外国投資が抑制され、所得収支も縮小します。その後、所得収支が赤字化し、貿易収支、所得収支、経常収支が赤字となります。
新興国では、民主化等の政情安定により経済成長が期待できます。先進国をモデルに産業政策を進め、中国での成功を参考に、外資の導入、農業から製造業へ、そしてサービス産業へと産業を高度化し、労働生産性を高め、国民所得を向上させることで消費を喚起し、その好循環によって持続的な成長が期待できます。製造業は、従来は先進国に対し競争力がなかったが、デジタル製品に代表されるように、部品の汎用化と製品のモジュール化が進み、先端技術部品を輸入して組立加工を自国で行い先進国へ輸出するというビジネスモデルで製造業を発展させることができました。ここでは、高い技術力よりも安い人件費が重要で、一定品質の工業製品を安い価格で輸出でき、輸出で雇用、生産力、資本ストックの蓄積を図り、国民所得を増やしていく経済成長パターンが確立しました。農業中心の経済だったものを、外国資本の工場を優遇策で誘致し、技術輸入を進めた結果、外国資本は安い労働力を求めて多数の製造業が進出しました。農業が抱えていた余剰労働力を製造業が吸収し、農業より製造業が労働生産性が高いため、国民所得が向上しました。この外資導入、農業から製造業へ、輸出による国民所得の拡大が経済成長のキーワードです。それを支えたのが、経済のグローバル化でした。
先進国の製造業は、自国内で閉じていた投資を世界に広げ、地球レベルでの最適な生産地探しを行っています。製品のモジュール化で、新興国は高い技術を持っていなくても、労働力が安価であれば組立加工に競争力があります。企業は安価な労働力を、新興国は製造業の発展で経済成長をと、両者の考えは一致し、急速に工場の地球規模での分散・最適配置化が進みました。新興国から安価な製品が先進国に輸出されれば、先進国では安価な輸入品の消費拡大、それとの価格競争で自国品の価格低下を招き、低インフレの時代となりました。先進国で輸入品の消費拡大、低インフレとなると、自国経済活性化のための金融緩和(金利低下、資金流動性拡大)が行われるようになり、また、新興国が稼いだ外貨は、先進国の国債購入を増加させることで、金利が低下しました。一方、新興国では、製造業の発展により、原材料輸入が増え、原材料の国際商品価格が上昇しました。一方、工業製品の国際価格は低下しました。新興国では、経済発展によりインフラの整備、技術力の向上で、先進国資本の工場進出が容易となりました。
新興国の経済発展は、生産地としてだけでなく消費地としての魅力度が増しました。経済発展による国民所得の向上で、消費が活発になり、新興国への輸出、新興国での販売のための工場進出(地産地消)が盛んになりました。新興国への輸出を行っていても、やがて新興国での販売のための現地への工場進出に移り変わっていくため、先進国では製造業離れが起きるようになりました。先進国でも製造業からサービス業への移行がスムーズに進む国は、製造業が失った雇用をサービス業で吸収するので問題はないが、サービス業が発展しない国は、経済が低迷することになりました。これが日本です。新興国では、国民所得の向上による消費の拡大、生産拡大のための投資拡大、それによる資産価格の上昇、原材料価格の上昇によりインフレとなりやすく、インフレを抑えるために金融政策で高金利となります。経済の発展と高金利は外国の資金が集まりやすくなり、通貨高、更なるインフレをもたらします。
この流れにより、先進国では、低インフレ、低金利、低成長、経済活性化のための財政拡大、財政赤字化が進みました。一方、新興国は、高インフレ、高金利、高成長となりました。先進国内では低成長であるが、グローバルに海外展開する企業は、国内市場から得る利益が少なくても、海外、特に新興国ビジネスで利益を得られるため、企業業績は拡大しました。つまり、国内経済と国内企業の業績は連動しなくなりました。先進国では人口減少している国もあるが、地球規模では人口は増大しています。新興国を中心に所得も増大しています。地球規模で資本ストックは増加し、労働生産性も向上しています。地球を一つの経済圏と見れば、生産も所得も上昇し、経済成長が続くと考えられます。これが転機を迎えるとすれば以下のことがきっかけとなるでしょう。
経済発展とともに国民所得が向上していきます。人件費(労働者の賃金)が上昇すれば、先進国より人件費が安価ということで先進国資本が工場進出していたものの、進出が抑制されることになります。生産コストが上がり製品価格が上昇すると、国内市場でも国際市場でも競争力を弱める結果となります。新興国通貨の価値も上昇するので、ドル建てで見た人件費は、さらに上昇することになります。やがて人件費が先進国と並ぶ水準ともなれば、先進国資本の新興国への投資(工場進出当)は減少し、経済成長が抑制されます。
農村部で第一次産業に従事していた人が都市部に移動し第二次産業や第三次産業に従事するようになる現象は、過去、経済成長を果たした先進国で見られた光景です。第一次産業より第二次産業や第三次産業の方が生産性が高いため、より高い生産性を持つ産業への労働力の移動が、経済成長を生みました。新興国においても、農村部から都市への人口移動が続いている間は、生産性の高い産業への労働力の移動を通じて経済成長します。しかし、やがて農村部が人口過疎になり都市部が人口過密になると、人口移動が止まります。この時が経済成長の転機となります。
経済成長をすれば、人々の所得が上がり、物価水準も上昇します。先進国よりも安い物価水準が安価な国産品の輸出競争力を生み出してきましたが、物価水準の上昇とともに価格競争力が弱まり輸出が停滞します。また、経済発展は、国内経済活動における貨幣需要の増大、外国企業の投資のための貨幣需要の増大を通じて通貨価値が増大します。これは輸出の抑制、輸入の増大につながり、経済成長にマイナスに働きます。
実際の労働量や資本ストックを理論モデルのパラメータとして代入し、理論値として計算したGDPを潜在GDPと呼びます。これは供給面から見たGDPです。これに対して実際に経済統計として計測したGDPは、需要面から見たGDPといえます。両者を比較し、需給ギャップの程度から実態経済を分析する手法があります。潜在成長率はどの時期も安定的で、実際のGDPには好景気不景気の波がありますから、好景気時には需給ギャップはプラスで需要過多、不景気時は需給ギャップはマイナスで需要不足となります。潜在成長率の考え方は、実際の経済が景気循環を起こしていても、長期のトレンドとしては、一定の安定成長軌道に乗って動くとの仮説に基づいています。
経済の成長要因である、労働投入、資本投入、科学技術の伸びで経済成長(GDPの変化)をどの程度説明できるかを実測データで分析するのが、成長会計です。たとえば、GDPが3%増加した場合、3%の増加要因の内訳として、労働の増加で1%分、資本の増加で1%分、科学技術の発展で1%分の貢献があったと分析するのです。労働と資本は計測が可能ですが、科学技術は計測できません。労働と資本の増加で説明できない部分を科学技術の寄与分としていることに注意が必要です。 日本の場合は、かつての高度経済成長期は、主に資本の増加の寄与で説明できます。その後の低成長期は科学技術の進歩で、95年以降のゼロ成長期は、労働の減少によるマイナス寄与を科学技術の進歩で補っている状況にあります。
経済成長を理論モデルから分析するのが経済成長論です。この理論では、 経済規模は、資本投入と労働投入の生産関数として表せられます。前期の資本ストックに今期の投資を加算し減価償却分を控除したものが、今期の資本ストックとなります。減価償却分を上回る投資による資本投入の増加、労働人口の増加による労働投入の増加の二つが経済成長の原動力となります。1人当たりの国民所得(生産関数を人口で割った値)は、資本投入の増加によって成長できます。資本が増えれば、その一定割合と見なされる減価償却分も増えます。資本の増大は経済の成長をもたらすが、減価償却分も増大し、新規投資と同じ大きさまで減価償却分も大きくなれば資本の増加が止まり、経済の成長も止まります。この理論では、経済は時間がたてばやがて成長を止めてしまうものとなっていますが、実際の経済は成長の程度に国ごとに差はあっても、成長が続いています。
これを説明するものとして、教育訓練による労働生産性の向上、科学技術による生産性の向上等、資本と労働以外の成長要因を導入しています。労働者の数が増えなくても、労働者の教育訓練で実効上1人で2人以上の働きが可能となります。科学技術の発展は、新しい生産手段の発見や資本の効率的利用法の獲得によって、資本の量が不変でも生産量を増やすことができます。また、科学技術で労働者が使う道具が進化し、実効上1人で2人以上の働きが可能となります。このように経済成長における原動力として科学技術の力は大きいものです。現に、近年の世界の経済成長は、労働や資本の増加以上に科学技術の発展によることが大きいと言われています。しかし、科学技術は物理的に量を計測できず、経済統計では一般的な金額単位による計量もできないため、実態経済における科学技術の影響度を客観的に計測するのは容易ではありません。経済成長論では、物理的な労働者の数ではなく、教育訓練の影響を加味した実行労働力の概念を導入したり、生産関数に科学技術のパラメータを導入したりしてモデルの拡張が行われています。いずれにしても、経済成長論における成長要因は、投資、教育訓練、科学技術となります。ただし、これらは供給側の要因であり、需要側の経済成長に与える影響については明確化されてはいません。生産関数で生産されたもので消費に回らないものが貯蓄され投資になります。需要に関係なく所与の労働投入、資本投入で生産物の量が決まり、消費で取り崩される分が少ないほど投資に回り、将来の経済成長につながるという考え方です。
経済成長モデルでは、資本、労働力、所得との関係は、 Y = F(K,L) Y=所得、F=生産関数、K=資本、L=労働力と表せられます。関数Fは単調増加関数で、資本と労働力がより多く投入されれば所得が増えます。投入要素である労働力は、労働力人口(人口のうち、働きたい又は働いている人の数)によって決まってしまい、人口増加がなければ年々増加するものではありません。一方、資本の投入(設備投資等)は年々増加させることが可能なので、資本の増大によって経済成長が可能です。資本Kは、 K = K-1 + I - σ K-1と表せます。ここでK-1=1期前の資本、I=投資、σ=資本摩耗です。資本摩耗文以上に投資Iを増やすことで資本Kは増加し、その結果、所得Yも増大し経済成長を続けることができます。資本摩耗σは、資本の量Kに比例すると考えるのは自然です。また、所得Yの一定割合が投資Iに回ると考えると、資本の計算式は、K = K-1 + s F(K-1, L) - a K-1となります。このモデルでは、s F(K-1, L) = a K-1となるK-1まで資本が成長すると、そこで経済成長が止まります。
経済成長より国民の幸福を追求すべきだとの声があります。国の「幸福量」を集計した国内総幸福を試算し、国内総生産(GDP)よりも国内総幸福の向上を目指すべきだとの主張です。しかし、幸福量の客観的計量化は容易ではありません。単に、幸福と関係しそうな統計値を、数式上で足し合わせたものが多い。どの統計値を重視するかで、計算された値が変わってきます。主観的な指標によりどころを求めるより、客観性のある指標(国内総生産等)の経済成長を追求する方が現実的には国民生活を向上させると言えます。経済はグローバル化が進んでおり、従来重視されてきた国内総生産(GDP)よりも海外から受け取る損益も国内総生産に加算した国民総所得(GNI)の方が経済成長の指標として適切です。経済指標は短期の景気変動で左右されるので、短期的な変動を取り除いたトレンドで見ていく必要があります。
経済理論によると、高成長の時代がある程度続くと、その後は低成長の時代となるとされています。生産水準や生活水準は際限なく上昇することはできず、一定の段階まで達すると、それ以上は伸びにくくなるというわけです。理論においても、投資をし続けても、資本の規模が大きくなると摩耗分も大きくなり、投資による資本の増加分と摩耗分がやがて一致する水準に達すると、それ以上の資本蓄積ができず成長しなくなると説明されます。今、先進国は低成長の時代となっています。産業も、第一次産業から第二次産業へ、そして第三次産業への移行が済んでいます。これ以上は成長しないのでしょうか。過去の長い人類の歴史を見ても、経済は成長し続け、経済成長の最終局面となっている時代は見当たりません。過去の歴史では見当たらなかった最終局面が今やってきているのでしょうか。第三次産業が中心の経済となると、急成長は望めないのでしょうか。
これは経済統計の取り方が影響しています。経済の成長を示す根拠となる国内総生産の値は、生産物の量で計測します。第一次産業や第二次産業中心の時代は、農産物や工業製品の量が増えることが経済成長だったので、計測が容易です。第三次産業が中心の経済では、生産量の代わりにサービスの提供価格を積算して生産量としています。低インフレであれば、人々が受けるサービスの消費に制約があれば、サービスの生産量は伸びません。生産物のように、よりたくさん作って消費することで国内総生産の数値を上げるのに対して、サービスの生産の方は、直接的な数値上昇には結び付きにくいものです。さらに、近年は、社会の情報化が進み、情報産業が発展していますが、情報は価格が不透明で、無料で提供されるものも多く、情報の「生産」が多くなっても、その効果が国内総生産の数値を上げる程度は小さくなります。つまり、経済が発展し、第三次産業中心、とりわけ情報産業中心の時代となると、従来より経済活動を図る物差しとして利用された国内総生産という経済指標は、経済の発展や実際の姿を表すものではなくなってきていることです。国内総生産という数字だけを追っていると上昇はない(低成長)のですが、経済の「質」では、大きく上昇し続けていることがあり得るのです。
近年、情報技術の進展によって、インターネットを使ったサービスが拡大しています。無料または低価格のサービスが多い、同時に多数の人々にサービスを提供することができ、サービスの生産コストが低いのが特徴です。生産性は高いといえますが、経済に与える効果は、製造業等とはだいぶ異なります。消費者が1日に使える時間は24時間で、モノやサービスの消費には限界があります。インターネットサービスに費やす時間が増えると、その分他のモノやサービスの利用、つまり消費が抑制されます。失う経済的付加価値より取って変わる経済的付加価値の方が大きければ全体は増加しますが、インターネットサービスの特徴として金額換算では消費額も投資額も小さく、インターネットサービスの普及拡大は必ずしも経済規模の拡大には繋がりません。インターネットでやり取りされるものは情報です。容易に複製できるため、自動車や家電製品、従来からある労働サービスのような製造原価が不明確です。市場価格も不明確です。人々の消費が、モノや従来サービスから「情報」へと変わると、生産消費金額で計測する従来からある経済統計では、実態を反映しないものとなりがちです。
経済は安定的に成長することが望ましいと言えます。安定的に高成長すればベストであるが、過去の歴史で見て、高成長の時期があるとその反動で低成長、マイナス成長が起きやすく、高成長は持続性に問題があります。高成長と低成長を繰り返した場合と安定成長を続けた場合とで、結果的にどちらが経済成長を成し遂げるかは、はっきりしていません。しかし、経済成長に予期せぬ変動がある場合は、消費や投資に予期せぬ変動があることを意味し、この予期せぬ変動は、企業の生産計画を難しくし過剰在庫や過小在庫を生み出します。家計の消費計画も計画どおりにはいかなくなります。計画どおりに生産、投資、消費が進めば、事前に計画に対して最適化が図られているので経済的に効率的なものになっていますが、計画どおりでないと非効率なものとなります。よって、経済成長に予期せぬ変動がある場合は、生産、投資、消費が非効率なものになり、経済成長を弱めてしまいます。
予期せぬ変動は計画的に最適化された行動を消費者も企業も取れなくなるが、変動による刺激でより生産性の高い状況に遷移することはないのでしょうか。たとえば生物学でいえば、突然変異と適者適存によって進化と遂げたようにです。適度な景気不景気の波は、経済的価値の低いモノやサービス、生産性の低いまま維持されてきた企業を市場から退出させ、より付加価値の高いモノやサービスの出現、生産性の高い企業の発展へのきっかけとなる可能性があります。企業の経営管理でも、好業績の続いている時期には疎かになりがちなコスト削減活動、組織の効率化、事業の見直しなどは、業績悪化がきっかけとなって行われがちです。業績悪化→経営改革→高生産性企業への脱皮→好業績というサイクルを経て、生産性向上が図られるというものです。また、景気の悪化があると、企業体質強化や事業の見直しなどの経営改善活動のインセンティブが高まるというメリットもあります。
一定の成長率で成長した方がよいのか景気循環による成長率の変動があった方がよいのか不明ではあります。実際のデータが示すところでは、景気には波があり、成長率が変動しながら長期のトレンドとして成長していることが多いです。しかしこれは程度問題で、急成長のあとは反動で急落する場合が多いことを考えると、変動は一定範囲内がよいといえます。成長してもその後急落する場合は、無理な高度成長だったと言えます。無理な成長がなぜ起こり、そして急落へと繋がるのか。何%の成長率が無理な成長率であるとかは一概には言えません。成長率の急落が発生した場合、事後的にバブルだったと結論付けられるのです。